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佐賀県には幕末を中心に日本を動かした七賢人とも十賢人ともいわれる偉人たちがいます。
総理大臣を2回務め、早稲田大学創始者で総長にもなった大隈重信。東京駅や日本の大手銀行を設計した辰野金吾。日本赤十字社を創設した佐野常民などなど。
昨年北海道での日本のうたごえ祭典に参加して札幌の通りで、「北海道の開拓の父」といわれている島義勇の銅像に出会いました。出身地の佐賀県よりも丁重に扱われていることを知って胸が熱くなり、私は銅像に向かって「ご苦労様でした!」と思わずお辞儀をしていました。
「青年団の父」といわれ公明選挙と青年教育に一生を捧げた田澤義鋪は私が住む鹿島市の出身です。教育者で「次郎物語」の作者でもある下村湖人は私の母校(高校)の校長・もちろん、私はお会いしたことはありませんが(笑)。
素晴らしい佐賀の偉人たちは私たちの誇りです。

寄稿:中村邦子(鹿島うたごえ合唱団)

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20年近く前、「平和の旅へ合唱団」が各地で学校訪問をしていたころ、私は、ある中学校で初めてその合唱団の歌声に出会いました。「人権集会」の一環として、開催された「合唱と語りによる構成『平和の旅へ』」は、圧巻で、50人近い団員の方の歌声が体育館にこだましました。
原爆が落とされ、一面の焼け野原になったこと、傷ついた渡辺千恵子さんが苦しみから必死で立ち上がり、平和への願いを世界へ届けようと歩みだしたこと。
感動で胸が高まり、この時の興奮は今でも忘れられません。
 機会があって、その合唱団に入り「平和の旅へ」を歌わせてもらえるようになりました。
語り継がなければなければならない曲だと思っています。今、戦争の足音が近づいてきています。今こそ、平和への思いを皆さんで一緒に歌いましょう。佐賀で待っています。

寄稿:水町典子(「平和の旅へ」合唱団・さが)

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私はコーラスグループには所属していません。今回、日本のうたごえ祭典が佐賀であることを知り、女性のうたごえに参加しました。
「いのちをうたおう」「たいせつなこと」はどちらも歌詞の意味がとても深く心に響きます。最初に聞いたとき感動して涙が出ました。
曲もとても素敵です。しかし、肝心の声が出ません。練習の最初に発声方法を指導してもらいます。腹圧をかけ、喉仏を下げ、声を口蓋垂に当てる。口の開き方など知らなかった基本的なことから指導していただきました。私は腹圧も弱くまだまだ息も続きませんが、後数ヶ月あるのでうたえるように頑張りたいと思います。祭典の成功を願って、私にできることは何でもやりたいと思います。そして、多くの人に素晴らしいうたを聞いていただき、愛と平和の大切さを心に刻みつけて欲しいです。

寄稿:大塚多美子(佐賀市)

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九州で一番大きな筑後川の鉄橋に巨大な鉄塔が2本建っています。朱色に塗られ、否が応でも見る人の目を引き付けます。
筑後川昇開橋は旧国鉄佐賀線の鉄道橋として昭和10年に架橋されました。
当時、筑後川は重要な航路として海運を担い、大型船の通行が頻繁でした。
当然橋脚の下は通れません。そこで列車が通るとき以外は可動桁を23メートルの高さまで吊り上げたままにし、列車が来るときだけ降ろして通過させるというシステムを取りました。
佐賀線は昭和62年3月に廃止されましたが、この昇開橋に寄せる地元佐賀市諸富町、福岡県大川市の筑後川両岸の市民の熱い思いは止みがたく、保存が実現しました。
今では得難い観光資源として、また地元市民、県民にとって憩いのアーチとして活用されています。





寄稿:上杉和子(合唱団コールぽけっと)

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3年前に京都府城陽市から妻の実家のある佐賀県武雄市に移住し、うたごえにかかわって1年余り。 6/24付の本紙「京都でも荒木栄」の記事に、私らしき人物が載っているとの情報が。 祭典実行委員でもなく、その他多少の誤解はあるものの、京都のかつての同僚の参加の報に人とのつながりが今に生きていると実感しました。 嬉野うたごえサークルは、古民家の食事処で毎月1回うたごえ喫茶を開催しており、勢いでお店の女将さんをサークルに迎え入れ、お店が築いてきた地域との信頼関係や人間関係も財産として生かしています。 また、三線の演奏を披露した方も、沖縄の歌をうたっていることを知り、サークルに加入。 伴奏の幅も広がりました。 この一年で知り合った佐賀のうたごえの人たちは、数字に弱いが人が良い、60名に満たない人数で日本のうたごえ祭典を引き受け、300万円の賛同金を集め、祭典成功に向けて、昼夜を問わず頑張っています。

寄稿:角野圭一(嬉野うたごえサークル)

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佐賀の西部に位置する、ここ鹿島は海、山、川、田畑に囲まれた自然豊かな街並みです。地元浜宿は、白壁土蔵造り町家で、春と秋の酒蔵まつりでは全国から3万人が訪れ賑わいます。 私は毎朝ラジオ体操をし、裏山に裸足で登り、山頂でおいしい地下水をぐいっと飲み、広大な有明海を眺めながら詩吟をあげます。道すがら、小中学生、高校生が「おはようございます」と爽やかに挨拶をしてくれます。おかげで終日笑顔で健康に過ごせて嬉しいです。 79歳で運転免許証を返納。長崎本線も本数が激減。でも、外出を控えるのではなく、鹿島うたごえ合唱団・混声合唱団・コーラス桜・個人ボイストレーニング・詩吟・オカリナとほぼ毎日外出スケジュールのある80歳。頭を若返らせ、移動手段の利便性を模索しています。 『声は健康のバロメーター』80歳超えても、アリーナで一緒に歌いましょう!

寄稿:田中勝子(鹿島うたごえ合唱団)

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脊振山、天山などの山を背に、佐賀平野が広がり、田植えシーズン、田は緑一色に変わります。 では神埼市から仁比山神社へと出発。 仁比山神社は参道入口前には石の門があり、向かって右に阿形、左に吽形の仁王像が安置され、その先のもみじのトンネルを出ると神社です。 蒼然たる老木、古木の大樹があり、足を止めて大きく深呼吸、そして目を閉じ、鳥のさえずり、風、葉の音、香りなども五感で感じてください。 それだけで体に生気と活力が入って気持ちいいですよ。 神社は五穀豊作の神様、神水もあって、石のお申さんに水をかけてお願いすると叶うと言われています。 12年に1度の猿の年にある御大祭も楽しみですよ。 神社に隣接する九年庵は、春はもみじや苔の新緑がまぶしく、秋は異なる幾種類もの紅色がつむぎ出す紅葉は、山々と庭園が一つに溶け合い、苔の緑とが息を飲む美しさです。 帰りには仁王門前のもみじの湯でひと風呂浴びて季節のランチはいかがでしょうか? 近くには木製のトランス橋・愛逢橋もあります。来てみんしゃい。

寄稿:古賀千鶴子(うたごえ小組MIRAI)

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小城羊羹で有名な小城市は「桜の名所百選」「名水百選」にも選ばれ小京都と言われる町です。 かつて、シュガーロードと呼ばれた長崎街道の沿線でもあり、砂糖が手に入りやすく、その頃から作り続けられているお菓子がいろいろあります。代表的なお菓子が小城羊羹や丸ぼうろなどです。 小城駅を出てそのまま北へ進むと老舗羊羹屋さんが何軒も軒を連ねています。昔ながらの製法を守り作り続けている店の中には手に入れるのに何ヶ月もかかる店もあると聞きます。また、現代人の口にも合うようにと味を工夫したり、目に止まりやすいよう包装を工夫されたりしているところなどもあります。羊羹を包む硬い紙を切るとほんのり小豆と砂糖の織りなす甘ーい香り。嬉野茶と一緒にいただけば疲れも吹き飛びます。

寄稿:永利裕見子(女声合唱団パッソアパッソ)

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佐賀空港から東京へ行った時、窓外を覗いてみた。眼下には、久留米の高良山、島原の普賢岳、多良岳、天山、脊振山系へと大きく包まれながら有明海が広々とおだやかに広がっていた。想像以上の大きさに驚いた。汐がひいていて目を凝らすとのり網がずうっとさきまで広がり、干潟の凹凸まで見えた。 ラムサール条約湿地に登録された有明海は、絶滅種に指定されている貴重な渡り鳥だけでなく、ムツゴロウ、ワラスボ、シオマネキ、たいらぎなど前海ものと呼ばれている魚たちの宝庫である。 豊かな自然の中に浸っている私の視野に突然オスプレイ配備の工事現場のトラックやクレーンが見えてきて、今のわたしたちの現実が見えてきた。どうぞ佐賀空港と有明の海を空からも眺めにおいでください。 そして一緒に佐賀バージョンの【空を海をいのちを】を歌ってください。

寄稿:汐待和子(「平和の旅へ」合唱団・さが)

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石炭といえば、三井三池炭鉱の福岡県、高島炭鉱や軍艦島の長崎県が思い浮かぶが、実は佐賀県にも多くの炭鉱があった。炭労は、最盛期には1万8千人近くを組織しており、県内の大きな労働争議はすべて炭鉱関係、また、唐津市肥前町の炭鉱は映画「にあんちゃん」の舞台にもなっている。県内で一番小さな自治体である大町町には今も炭鉱住宅が残っており、広場マーケットや大町生協のたたずまいとともに郷愁を呼び起こす。閉山前には60店舗以上あったが現在は3店舗、肉屋のご主人はかつてロックバンドのドラマー、今は小学生を指導する太鼓連合の重鎮。炭鉱労働者に愛されていた「たろめん」も町内で復活。佐賀県のうたごえの発祥地といわれる大町町にて、広場マーケットの空き店舗を活用の「うたごえ喫茶」開催し、荒木栄を歌う日を夢見る。

寄稿:角野圭一(嬉野うたごえサークル)

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日うた佐賀祭典のサイトを見て「ぞうれっしゃがやってきた」を歌いたいとメールを下さった森内さん。森内さんのメールには【私は学生時代からうたごえ運動にかかわり北海道で教師をしていました。主に吹奏楽、器楽、合唱等音楽の指導です。妹が40年前に大阪で開催された「ぞうれっしゃがやってきた」のピアノ伴奏をしたことがきっかけでこの合唱構成を知りました。学芸会でも何度もやり、古いワイシャツを集めて染め軍服を作ったことを思い出します。今は難病を発症して早期退職、八女市に移住し熊本医大に通いながら療養生活をしています。病気の関係で肺活量も減り以前のようには歌えませんが、なんらかの形で参加したいと希望しています】とありました。早速練習日をお知らせすると、奥様とご一緒に車椅子で参加されました。凄くお上手でテノールのよく響く声をお持ちです。できれば「地底のうた」も歌いたいと。八女市から佐賀市まで一時間以上かかりますが、又お会いできるのが楽しみです。
「ぞうれっしゃ」がもたらしたご縁に感謝!!

寄稿:八谷玲子(うたごえ小組MI-RA-I)

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背景の緑とのコントラストが美しい、総漆朱塗りの建立で、京都清水の舞台13mより高い18mの舞台は見上げると荘厳さに圧倒されます。  1687年(貞享四年)日本3大稲荷神社に数えられ、商売繁昌、家運繁栄、大漁満足、交通安全等種々の祈願が絶えず、年間300万人が、参詣・観光に訪れ、親しまれています。
 四季を通じて行事があり、12月の「お火たき」神事は、来る年の幸せを願う多くの人々で大変賑います。外苑は桜・つつじ・藤などの花の名所として、憩いの場所となっています。また高台の奥の院からの見渡す絶景は、まるで神様からの贈り物❣️『癒し』の場です。
 近年は、海外の方々にも人気上昇中のスポットとなって外国語での案内もあります。また、エレベーターも設置したバリアフリーの神社でもあります。

どうぞ是非お立ち寄りくださいませ。

寄稿:富永すみ(鹿島うたごえ合唱団)

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わたしのイチ推しは、地元・有明海の東よか干潟とシチメンソウです。筑後川など多くの河川から運ばれる栄養分と最大6メートルの干満差によって、有明海特有の多様な希少生物が育まれています。豊富な栄養分のおかげで美味しい海苔や竹崎カニ、クチゾコ(シタビラメ)、ムツゴロウが獲れる有明海は、母なる海。稚魚や稚貝の子宮だった諫早湾が閉め切られてからは、シギやチドリ、クロツラヘラサギなど絶滅危惧種の野鳥たちが越冬のため東よか干潟を訪れ羽を休めます。

そして緑から黄、紅色へと色を変化させることからその名がついたシチメンソウ。塩性植物で多肉みたいにプチプチした葉が可愛らしい。毎年11月頃、全国から多くの写真愛好家が「海の紅葉」「紅いじゅうたん」をカメラに収めるためやってきます。

有明海に面した佐賀空港へのオスプレイ 配備は許さない。豊かな自然の営みを未来の子どもたちに残したいです。
「ぞうれっしゃ」がもたらしたご縁に感謝!!

寄稿:パッソアパッソ・池崎基子

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みなさん、こんにちは。日うた佐賀祭典が日一日と近づいていますね。
今回は佐賀祭典の会場の一つになる、鳥栖について紹介したいと思います。

鳥栖は佐賀県の東部にあり、隣の福岡県での仕事に就いている方も多いです。山、ダム、ゆったり流れる筑後川などの自然に恵まれ、ほどほど田舎で、ほどほど都会の住みやすい街です。プロサッカーチームのサガン鳥栖やバレーボー ルのHISAMITSU(久光)の本拠地もあり、スポーツへの関心も高いです。

私が鳥栖で好きなところは、春の朝日山です。満開の桜の下で宴会をしているグループがあったり、出店が出たりしています。それ以外の季節も散歩をしたり、「地獄の階段」で体を鍛えたり、頂上から街を眺めたりして楽しめます。

会場の鳥栖市民文化会館からも見つけることができますので、ぜひ、ご覧ください。
追記:会館の近くでお昼を食べるなら「かつみ屋」のうどんがおススメです。

寄稿:原口奈津子(「平和の旅 へ」合唱団・さが)

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佐賀の有田町と山内町にまたがる黒髪山。昔、この地の白川の池に大蛇が棲み近隣の村々を襲い苦しめていた。
困窮した村人は退治を領主高宗に懇願、やがて朝廷の命を受けた鎮西八郎為朝が乗り出す。仙人の助言により若い女性を使って大蛇をおびき出す事に決め、万寿姫が御家再興を約束に引き受ける。白川の池に水棚が造られ、万寿姫がその上に座した。おびき出された大蛇に高宗は三人張りの弓で眉間を射、為朝は八人張りの豪弓で右目を貫く。続く将兵の猛攻に谷底へと逃げた大蛇は、そこに通りかかり危機を察した一人の座頭が突き立てた懐剣によりとどめをさされ絶命する。
有田に残る「大樽」や「中樽」などの地名は、この時の祝杯に由来すると言われている。
写真は黒髪山山頂の「天童岩」で、この岩に大蛇が七巻き半していたと伝えられている。

寄稿:合唱団コールぽけっと 岩永和樹

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佐賀の有田町と山内町にまたがる黒髪山。昔、この地の嬉野うたごえサークルは、有明海と大村湾の中間地、日本三大美肌の湯の一つに挙げられている嬉野温泉を眼下に望む吉田の山の中腹で、毎月例会をしています。ぽつんと一軒家もどきの山中で、周辺には嬉野茶の畑が広がり、国の天然記念物に指定されている県鳥のカチガラス(カササギ)と至近距離で遭遇することも珍しくありません。佐賀県は、有田焼、伊万里焼(鍋島焼)、唐津焼などの陶磁器が有名ですが、私たちの練習場の近くにも、四〇〇年以上の歴史を持つ肥前吉田焼の多くの窯元が点在しています。窯元会館のギャラリーには各窯元の製品が陳列・販売されており、絵付けなどの体験もできます。また、山里には吉田まんぞく館という地元の農特産物の直売所も賑わいを見せています。県内でも知る人ぞ知る(一年前までわたしも知らなかった)、豊かな自然と焼き物に囲まれ、山裾からのやさしい風を感じることができる、嬉野市吉田を一度訪れてみてください。

寄稿:角野圭一(嬉野うたごえサークル)

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一口に佐賀の方言といっても、地域によって違いがありますが、、、
1 動作を一文字で表現するのは、他所にはないかもしれません。例えば
  ①おい、もうねふたかけん、ぬッ。(俺、もう眠たいから寝る)
  ②明日あんたのとこさいくッけんね。(あした、あなたのところに来るからね)
  ③どがんすッと?(どうするの?)
  ④あんたも日うた祭典にずッとね。(あなたも日うた祭典に出るんだね)

2 擬音語・擬態語を3回繰り返して強調します。例えば、
  ①雨がザーーザーザーと降っている。
  ②犬がワーンワンワンと吠えている。

3 その他特徴的なものとして、
  ①そいぎ・そいぎんた(またね、別れ際に言う)
  ②つーつらつー(すいすい、よどみなく)
  ③ちゃーがつか(恥ずかしい)
  ④しっきゃー(全部)
  ⑤ふーけもん(馬鹿者)
  ⑥えすか(怖い)
  ⑦今日は良か天気なたー(いい天気ですね)
  ⑧ちんにぐッ(逃げる)
  ⑨あばかん(小さくて入らない)
  ⑩すったんたぎッ(沸騰する)
  ⑪しゃーびゃーすんな(余計な口出しをするな)
  ⑫ぎゃーけした(風邪引いた)

皆さん、どのくらいわかりましたか? まだまだありますよ!

寄稿:下村洋子(うたごえ小組MI-RA-I)

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佐賀鹿島合唱団に入って2年目ですが、平和の尊さ・有り難さを感じています。鹿島合唱団の染川さんが作詞を、「平和の旅へ」の作曲者である園田鉄美さんが作曲された「長崎本線いつまでも」が出来上がり、今年の発表曲として練習しています。とても歌いやすく明るい曲です。
長崎本線は、西九州新幹線が開通してからは、博多から長崎までの特急が鹿島終点になり、14本に激減し、長崎までは各駅停車の不便な乗り継ぎです。
肥前浜駅は伝統的建物群の酒蔵通り、多良駅・大浦駅は有明海沿いの蟹や牡蠣焼き店が有名です。無人の七浦駅はボランティアできれいなお花を生けて、隅々まで掃除されてます。駅の歴史がわかる写真やミニチュア電車も飾られ、畳の間もあり、駅にいるだけで癒されます。写真マニアがよく訪れます。
有明海を望む長崎本線の旅に是非おいで下さい。

寄稿:岡チヨノ(鹿島うたごえ合唱団)

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黄色は、(そうさん🐘)「ぞう列車」を歌う時にもたくさん作りました。赤色は、「佐賀県」Sagaの焼印!佐賀県を覚えください。「地図確認 福岡と長崎の間」ですよ。

革の特性である自然素材は、体に優しい❣ 冬の季節静電気で「パチッ」とするいやな感覚を和らげます。ドアノブにさげて指で触れてからドアを開けると、たぶん和らげます。(静電気除去シート)に早替わり
青色は、「ケーブルホルダー」延長コード、ドライヤーのコード等まとめる時に無理に縛っていませんか? 軽くまとめて「パチン」とスッキリ片付けられます。

佐賀の特産物で全国の皆さんをお待ちしてます。

寄稿:久保とも子(女声合唱団パッソアパッソ)

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佐賀の空は広か~ 佐賀空港から真っ直ぐの一本道。周りはずっと麦畑。農地として造成された干拓地に佐賀空港建設計画(1969)が出され、海を守る地元漁師漁協の20年以上の長い闘いがありました。交渉中、怒りで灰皿が飛ぶこともあったと。「佐賀空港が赤字になったときは絶対に基地化される、そうなると川副は火の海になるという戦争体験者たちの危機感からつくられた協定書。二度と戦争を繰り返してはいけないという先人たちの遺言書」と。県と漁協が結んだ公害防止協定(1990)に「県は佐賀空港を自衛隊と共用するような考えを持っていない」と明記されました。開港から20年、バルーンの似合うへいわな空だったのに、国のオスプレイ配備計画が強引に推し進められ、公害防止協定の見直し、土地買収、昨年からの土砂搬入工事、環境アセスメント逃れと、法もないがしろにする姿勢に、漁民市民は「佐賀の空海いのちを守る」と立ち上がっています。〜渡そう子どもへ このふるさとを~アリーナで大合唱。一緒に歌いましょう。

寄稿:「平和の旅へ」合唱団・さが 末美佐子

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佐賀ってどんなところ?と聞かれて「何にもないところ」「空が広いところ」「素通り県」などとつい答えてしまう。佐賀に住む私たちがとんでもないマイナスイメージを持っていたんですね。広い空、豊かな海、豊かな自然、日うた祭典を機に一番大切なことに気づかされました。
最近マスコミを通じてこれほどまでに佐賀の名所、名物の情報があふれていることも誇りです。
一つ前の朝ドラ「らんまん」で槙野万太郎の妻スエ子が立ち寄った茶店で居合わせた女性客との会話。「このおいしいボーロは、佐賀のお殿様が広めたお菓子なのよ」と。明治時代、茶屋でこのような会話が交わされたとは驚きですね。ドラマで有田焼、伊万里焼は当たり前のように登場。情報番組では有明海の海苔、小城ようかん、鹿島の酒、うれしの茶など佐賀の名所や名産は数知れず。日うた佐賀祭典で物販を担当する事業部の皆さんの意気込みは相当なものです。
ネット予約販売、祭典で来佐の折には佐賀の名所巡り、名物探しを是非堪能下さい。

寄稿:合唱団コールぽけっと 松永りつ子

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8000年前の佐賀に先進的な縄文文化が存在していました。日本最古、最大級の湿地性貝塚で、1990年に集落、13年後に貝塚が発見され、2016年に国史跡に指定されました。
縄文人はどんな生活を? 有明海が陸地の奥深く進入し、東名の地は海の幸、山の幸の両方が手に入る住みやすい場所でした。魚を捕るために仕掛けた罠でスズキや鰡を捕り、干潟でカキ、シジミ、アゲマケ、山ではドングリ、シイの実などを食べ、貝殻や骨でアクセサリーを作り、ツルやヘギ材で小型かごに木の実を集め、大型のかごに入れ貯蔵穴の中で水漬けにしたそうです。
8000年も前に、縄文人は豊かな自然の中で知恵を出し、ムラ人皆で助けあい、戦の無い豊かな生活を送っていたと想像されます。
今佐賀の地に住む私達の祖先なのだろうか?今、貝塚は埋め戻されて保存されています。東名遺跡保存館(東名縄文館)に足を運んでみませんか?
私は目からウロコでした。8000年前にも世界は繋がっていたと感じました。

寄稿:鹿島うたごえ合唱団 松岡冨久子

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佐賀では毎年十一月はじめの約一週間、アジア最大級の熱気球競技大会が行われます。その名も「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」。会場となる佐賀市の嘉瀬川河川敷には世界各国から百機を超えるバルーンが集まり、県人口超えの八十万人以上の人が集まってきます。期間中は空に浮かぶ色とりどりのバルーン、夜間係留のバーナーの炎に照らし出される幻想的バルーンなど、いろいろなバルーンを楽しむことができ、しかもタダ。食通には佐賀牛など地元佐賀の名産品を味わえる「憩いの広場」、公式グッズ等が販売される「バルーン広場」、メイン会場となる「競技エリア」があり、終日楽しむことができます。日がな一日、嘉瀬川の堤防に座ってぼんやりするもよし、河川敷に展開する売店で買い物したり食事したりするもよし、ゆったりと浮かぶバルーンを見ながら、俗世間の喧騒からちょっとだけ離れ、静かに流れていく時間の中で、佐賀を楽しまれてはいかがでしょうか。

寄稿:佐賀のうたごえ協議会 松永正美

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佐賀県の名産物といえば「嬉野茶」です。令和5年「全国茶品評会」の結果が発表されました。嬉野市からは、蒸し製玉緑茶、釜炒り茶の両部門において個人の部で最優秀賞である農林水産大臣賞と、産地の部で産地賞1位を受賞。2茶種でのダブル受賞という快挙を達成しました!釜炒り茶の農林水産大臣賞の受賞は5年連続、産地賞の受賞も5年連続となります。
今回佐賀うたごえでオンライン販売する梶原茶園のお茶は、化学肥料を極力抑え有機肥料を多く使っています。除草剤も茶畑の中は使っていません。編みかけせずお日様の恵みで育てています。 二煎目、三煎目まで深みのある味を楽しめ、茶葉の色も鮮やかです。楽天売上一位に輝いた時もあります。楽天より割安設定しています。是非ご家庭や大切な方へのご贈答品にご賞味ください。

寄稿:鹿島うたごえ合唱団 染川浩美

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私の両親は私が産まれた年から有明海で海苔の養殖を始めました。初めは全て手動。沢山の竹を積んだ小舟で筑後川を下り有明海に出て作業をしていました。海苔が伸びる頃になると早朝に出て、夕方海苔を積んで帰って来ました。一年間で一番寒い時期の作業は、大変なものでしたが家族総出で頑張りました。私も小さい頃から弟達の面倒をみたり、海苔の作業も手伝ったりしました。隣近所の若いお母さんやおばあさんも手伝ってくれていました。家には10人以上の人たちがわいわいがやがやと働いていました。家業を家族みんなですることは楽しくて遊び感覚で手伝っていました。又出来立ての海苔をパリパリと毎日食べることが嬉しかったです。有明海で作業をして帰ってくる両親は、豊肥なアサリ貝や魚採って来てくれました。大きな海竹も沢山いてそのかす漬けはとても美味しかったです。有明海を昔のように宝の海に戻したい❗強く思います。でも今でもむつごろうさんが頑張っています。美しいがたも素敵です。夕焼けも素敵です。私は小さい頃から有明の海と共に生きて来れたのが幸せだったと思います。

寄稿:「平和の旅へ」合唱団・さが 松隈千恵美

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「2024日本のうたごえ祭典inSAGA」が決まった時、まず祭典Tシャツを作り佐賀のうたごえ協議会員全員に配布しました。
全方向に広がる佐賀の広い空に、次々に立ち上がって離陸していく色とりどりのバルーン(熱気球)。そのワクワクする気分で色とデザインが決まりました。
バルーンに乗って歌を歌っているのはムツゴロウ(有明海の愛嬌者。決して蛙ではありません)。
私達はこのTシャツを着て、九州のうたごえや日本のうたごえ・うたごえ喫茶・平和や人権の運動との連帯等様々な場面に参加し日本のうたごえ祭典を広めています。
2024佐賀祭典では、皆さんぜひ祭典Tシャツを着て一緒に歌いましょう‼️
2月中に、他の祭典グッズと一緒にweb販売を開始します。
注文まっとうよ〜(待ってます)。

寄稿: 女声合唱団パッソアパッソ 小川雅子

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佐賀市の玄関口佐賀駅南口から佐賀県庁に通じる1km余の中央大通り。その両側の歩道に、佐賀ゆかりの偉人25名の等身大モニュメントが置かれています。この中には、東京専門学校(後の早稲田大学)を創設、また日本初の鉄道敷設に尽力し、2度内閣総理大臣を務めた大隈重信。西南戦争の時に博愛社を創設して敵味方の区別なく救護し、日本赤十字社の創設と発展に尽力した佐野常民。「北海道開拓の父」として慕われている島義勇など、幕末から明治・大正時代にかけて、日本を牽引した人たちがいます。また、日本銀行本店や東京駅などを建て、建築界の発展に貢献した辰野金吾や、日本を代表するお菓子メーカーを創設した森永太一郎と江崎利一など、大きな夢と志をもって困難を乗り越え、各分野で時代を切り開いた人々が出迎えてくれています。そのほかに歴史的名所もたくさんあります。
皆さん、ぜひ佐賀に来て、ゆっくり佐賀ん町ば(を)歩いて楽しんでくんしゃい(ください)。

寄稿:合唱団コールぽけっと 下村信廣

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全国のうた新読者の皆さんこんにちは❗️今年から祭典までの約一年間の毎号に、佐賀からの通信を載せてくださると言うことで、嬉しいやら緊張するやら、佐賀の仲間たちは大賑わいです❣️ タイトルの『佐賀の風だより』も、会員の公募と投票によって決まったんですよ。この1年間佐賀の魅力をたっぷりとお伝えしていきます。どうぞ皆さん、音楽会はもちろん、観光名所や、おいしいものたくさんあります。こぞって佐賀においでくださいね。
まず私の一推しは、我が家のベランダから一望できるほどの至近距離に在る吉野ヶ里遺跡です。9月末に全国協幹部の皆様が佐賀においでの際、短時間でしたがご案内しました。轟さんが、『うたごえ時間』にその魅力を書いてくださっていましたね。私もこんなそばにいながら実は、これほどの魅力があるとは知らなかったんです。詳細は、連載の中で今後ご紹介できると思います。
さぁ次号からの佐賀のオーラを存分にお楽しみください!

寄稿:2024日本のうたごえ祭典inさが運営委員長 松田さえ子